自分を知り、自分を変えていく

発達障害とは


人の脳は通常ほぼ決まった発達段階を経て成長しますが、一部の方は通常とは異なる発達をすることで、特徴的な症状を持つことがあります。そのような症状が日常生活や社会生活を送る上で大きな支障をきたしているとき、発達障害と診断されます。
各特徴は、下図の厚生労働省の説明図のように、現在大きくは自閉症スペクトラム(ASD)、注意欠如多動症(ADHD)、学習障害(LD)のように類型化されて取り扱われることが多くなっています。

尚、ASDの方は以前は自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー症候群のように細かく分けた診断がされていたこともありますが、本質的には同じような特性を持っていると考えられています。

自閉症スペクトラム(ASD)

自閉症スペクトラムの診断基準には多くの項目が並んでいますが、社会生活を送る上において、下記の3つの特性を対象に考えると支援計画を立てやすいと考えています。

1.対人コミュニケーションの障害

対人コミュニケーションの問題を抱える本質は「人の意図を読み取りづらい」ことにあります。特に以前は言語発達が良好であれば、社会的予後が良好と考えられていましたが、研究*1によれば一定の知的能力以上のASD者の主観的なQOL(生活の質)は逆のようです。言語発達が良好な場合、親や教師は心配が少ないように思えますが、身近な大人や友人の発言や行動の意図を読み取れずに、冗談を悪意のある自分への攻撃に受け取ったり、言葉の含意を読み取れずに相手の意図に従った行動を取れず、困ってしまうことが多いのです。支援を行う上では、そういった人の意図を読み取りづらい点や、自分の意図を伝えづらい点を特性として持っていることを、本人も理解が進むことが望まれます。
*1)神尾陽子 自閉スペクトラム症の長期予後. 臨床精神医学 43(10):1465-1468,2014.

2.パターン化した行動(同一性へのこだわり)

こだわり、というと、例えば本をきちっと背表紙の高さなどが揃った形で並んでいないと気がすまない、であるとか、数字や特定の物への執着ということが想像しやすいと思います。
もちろん、そういうこだわりもあるのですが、生活上では、新しいこと(新規性)への不安、と考えると良いでしょう。ですから例えば学童期では急な時間割の変更や外出時の行き先の変更に対して混乱をきたすことがあります。成人になっても、やはり急な予定変更には困惑しやすいですし、基本的には今までと同じ行動様式を継続したい、という気持ちが強いことになります。支援者側からは、こうしたほうがいい、生活を向上させる、という気持ちで提案したことであっても、なかなか応じられない、拒絶する、ということもありますので、特性による不安には十分な理解が必要です。

3.感覚過敏

精神科で中心的に使われている診断基準DSM-5(アメリカ精神医学会)でも「感覚刺激に対する過敏さまたは鈍感さ、または環境の感覚的側面に対する並外れた興味」と記載されるようになりました。様々な感覚刺激に対する過敏性はASDの方の日常に大きく影響していることが多いです。

照明や日光、匂い、味覚や口の中の食感、衣服の触感(特に丸首の部分とか)、人との接触、周囲の話し声など、過敏な感覚の種類は多様であり、時に過敏症状を持たない人にとっては想像も難しいことがあります。例えば、以前テレビに出ていた女性は水の流れる音がとても辛いと仰っていましたが、そういった過敏さが無い人にとっては、驚きとともに、共感しにくい部分でもあり、「慣れたら大丈夫なんじゃないの?」と思うところでもあります。

ブログも参照いただきたいのですが、基本的には「慣れ」を期待するのではなく、周囲にも理解を共有した上で、本人が楽になる対策を工夫することが大事です。

慣れるのは難しい感覚過敏と対応について
視覚過敏について調べてみた(前編)
視覚過敏について調べてみた(後編)

注意欠如多動症(ADHD)

幼少期より明らかになる3つの症状として、図にもある通り、不注意・多動・衝動性がよく知られています。しかし、症状については誤解も多く、特に女児の症状は幼少期には見逃されがちであり、成人になってから初めて問題が顕在化し受診に至ることも最近は知られてきました。

  主症状として指摘される3つの症状について

不注意

よく指摘されることですが、集中力が無いわけではありません。ただし、大きく変動します。内容によっては、集中することに何の困難も覚えず、非常に高いパフォーマンスを示します。そのパフォーマンスは報酬の程度や、課題の性質、それに知的能力や心理面に大きく左右されることも知られています。要するに、状況によって集中力は変動し、不注意は集中力の有無というよりも、その場で必要とされる注意を的確に振り分けることが苦手、と解釈すると良いでしょう。何かに集中していると話しかけられても気づけず、無視していると勘違いされたりもします。このような「不注意」は成人になってもかなりな程度持続することもあり、自らの特性を十分理解し、生活上の工夫を必要としています。

多動

授業中席に座っていられない、じっとしていると思ったらすぐにどこかに姿を消してしまうなど、幼児期から気づかれやすい性質を示すADHDの男の子は典型的です。こういった多動は成長していくと弱まり、目立たなくなることは知られています。

しかし、人からみて明らかにそういった症状がない場合でも、内面ではじっと静かにしていることが辛く、絶えず身体の一部分を動かしたり、手いたずらをしたり、長い会議に耐えられず中座が多い、などの形で成人まで残ることも多く見られます。

衝動性

人の話を黙って聞けず何を言ってもすぐに自分で話し始めてしまう、思ったことをつい口に出してしまう、いらいらするとすぐに手を出してしまう、といった衝動性が多動とともに見られる男の子はADHD特性として典型的です。こちらも多動と同じように成人期には目立たなくなることは多いです。

しかし、例えば、すぐに手を出した結果として望みが叶ってしまえば間違った行動学習(強い態度に出れば人を従わせられる)がされかねないですし、思ったことを口に出すことが相手との関係を悪化させることにも繋がり、社会生活上大きな影響を与える特性でもあります。成人して、浪費癖やアルコール/違法薬物への依存に繋がることもあります。

ADHD特性は症状が日常生活で向き合う問題に対処可能かどうかで障害の程度が決まってきます。幸運にも能力にはまった職業につけたり、ADHD者が難しく感じる問題に対処してくれるような同僚や秘書的存在に恵まれた場合には、能力を発揮でき、特性があっても障害にはならない可能性があります。一方で、非常に優れた能力を持っていても、環境が本人にとって辛くサポートが得られない状況に陥ると、ADHD特性が問題になる可能性は高まるでしょう。

ADHDの支援においては、様々な生活上の工夫の仕方を身に付け、実行していくことが一番大事な点です。同時に、特性そのものを緩和する抗ADHD薬という薬物治療も期待できます。薬のみですべての課題が解決するわけではないので、的確に薬を利用しつつ、時に助言やカウンセリングを受けながら日常生活の工夫をしていくことが生活の質を高めます。

ブログもご参照下さい。

ADHDに関する10の誤解(神話)_前編
ADHDに関する10の誤解(神話)_後編

学習障害

学習障害は、文部科学省の定義(*1)によれば、「基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難」を抱える状態にある人を指し、一般的には発達障害の1つとして考えられています。ただし、その原因が、知能障害や視覚障害、環境も影響などが直接のものではない、何らかの(解明されていない)中枢的な機能障害です。

学習障害(Learning Disabilities:LD)(*2)は発達障害の1つであり、自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如・多動症(ADHD)とともに3つ組で紹介されることは多いのですが、一方で、ASDやADHDのようには注目されていない現状があります。

その要因の1つは、単に勉強ができない子、と見なされてしまっていることが多いのではないかと考えます。

しかし、文科省の定義にあるように、学習障害の子は知能的に遅れが無いのに、読み書き計算のいずれかに大きな苦手を抱えています。私たちは普段、子どもたちの勉強のできる・できないや大人の頭の良さを、どれだけ難しい文章を読めるか、素晴らしい文章が書けるか、とても速い計算能力、といった指標で判断しがちです。確かにそういった能力があることは「頭のいいこと」をある程度保証してくれます。しかし、逆は必ずしも真ではなく、読み書き計算能力に欠けること=頭が悪い、とは言えないのです。

*1)https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/004/008/001.htm
*2)立場によって、Learning Disorders, Learning Differences の略とすることもあります。

学習障害は発見されるべき?

読み書き計算ができないならば、その背景に何があるのかは探ってみるべきです。もちろん、そういった子たちが一定の知的能力水準に届かない、知的能力障害(精神発達遅滞)である可能性はあります。しかし、そうではなく、ただ単に書けないだけかもしれない。それとも読むことに非常な困難を伴っているだけかもしれない。そうであれば、その書けない/読めない、に何らかの手段を講じれば本来持っているはずの能力を出すことができるはずです。

「いて当たり前。勉強ができる子できない子、当然いるでしょう。スポーツと一緒」

と仰る方もいます。確かにそうです。しかし単に、「バカ」で済ませてしまったらその子たちの芽を摘んでいる可能性があります。それは実にもったいないことです。対策手段さえ与えられていれば、今は能力を出せないその子たちが自分の力を出すことができ、能力をずっと高く伸ばしていけるのですから。

折しも最近は発達障害の特集が盛んに組まれるようになりました。NHKで紹介されたある高校生は、書くこと、に困難を抱えていました。彼は学校の定期テストでパソコンのワープロソフトを使って解答することが認められ、定期テストで他の生徒さんと遜色ない点数を取れています。ワープロを使うことで、テストが受けられたわけですが、それは取りも直さず、能力が正当に評価されることに繋がります。

大人になったら学習障害は関係ない?

また、大人になったらもう関係ない、と考えている方も多いでしょう。実際確かに、大人になれば計算は電卓で、書くことはPCを使って、と実際には問題にならないで生活されている方も沢山いらっしゃいます。
既にそういう形で問題が解決されていれば良いのですが、こういう方が過去おられました。

「公務員試験を受けるのに自分の書字障害を診断して欲しい」…その方は幼少期から書くことに抵抗があり、作文なども一行だけ、国語の記述問題はできるだけ避けて学校生活を送りました。そういう25歳の方ですが、今度公務員試験を受けるにあたり、PCを利用できるようにしたい、と。「僕は、手書きだと思考能力の半分も使えませんが、PCで書ければアイデアもどんどん浮かぶし、きちんと自分の考えを表現できるんです」と語っていました。診断書によりPC利用ができた結果、公務員試験に無事合格されています。

また、ある営業で成功しておられる方は、30歳になり管理職となった途端、気持ちが落ち込み、毎日が不安だらけとなってしまいました。理由は、「昔から桁数が多くなると数字を把握できないし、計算がまるで苦手。イメージが掴めない。管理職になったら今後の予測とか報告しなくてはいけなくなった。明日も数字を見なければいけないのかと思うと眠れない。上司には伝えても、お前がそんなことあるわけないだろ?と真剣に捉えてもらえない」と。この方には、検査の上で、計算障害があること、数字の桁数が多いと把握ができないことを数字を示して上司向けの診断書を作成、その後該当業務を外れることができ、活き活きと生活ができるようになりました。

このように、大人になってからでも状況によっては学習障害の存在とその程度を検査することが役立ちますので、必要な方には我々の利用もご検討ください。

学習障害検査について